谷山遺跡(たにやまいせき)

遺跡の場所 長岡京市の北西部
遺跡の時代 弥生時代(発掘調査によって平安時代、江戸時代のものも発見されている)
遺跡の概要 谷山遺跡は標高75m前後の丘陵先端部に立地する高地性集落。発掘調査では、弥生時代後期の竪穴住居7棟、掘立柱建物1棟、土坑1基などが発見された。竪穴住居の形態や規模は様々であったが、6棟が火災によって焼失していた。

 


谷山遺跡の場所
谷山遺跡の場所 長岡京市遺跡地図第5版から(長岡京市教育委員会提供)

弥生時代 遺構配置図
右京第237次調査
竪穴住居は北東側に4棟、南西側で3棟見つかりました。掘立柱建物1棟は、2つの竪穴住居群の間に配置されています。

南西の上空から見た谷山遺跡
右京第237次調査
谷山遺跡は東側の平地部より約25m高い場所に営まれた高地性集落です。

南東から見た谷山遺跡
右京第237次調査
写真奥に映っている建物は西山公園体育館です。

弥生時代 竪穴住居1と竪穴住居7
右京第237次調査
調査区の南西部で発見された2棟の竪穴住居です。竪穴住居1の形態は方形、写真奥の竪穴住居7は長方形でした。

弥生時代 方形の竪穴住居1
右京第237次調査
竪穴住居1は長辺7mの方形住居です。4本柱で中央に炉、写真右下に貯蔵穴が配置されていました。

弥生時代 長方形の竪穴住居7
右京第237次調査
竪穴住居7は長辺5.5mの長方形住居です。2本柱で中央に炉、写真右下に貯蔵穴が配置されていました。

弥生時代 円形の竪穴住居6
右京第237次調査
調査区の最も北で見つかった竪穴住居6は、直径約10mの円形住居です。6本柱で中央にピットがあります。写真手前の黒い部分は住居の部材が焼け落ちて炭化したものです。

弥生時代 竪穴住居6の遺物出土状況
右京第237次調査
竪穴住居6からは弥生土器の甕や鉢の他、ミニチュア土器や鉄製鋤先などが出土しています。

弥生時代 五角形の竪穴住居3
右京第237次調査
調査区の最も南で見つかった竪穴住居3は、一辺4.5m程度の五角形住居です。住居の中央に炉、写真奥に貯蔵穴が配置されていました。

弥生時代 竪穴住居3の遺物出土状況
右京第237次調査
竪穴住居3からは弥生土器の壺や器台など、住居のなかで最も多くの遺物が出土しました。また、土器の他に板状鉄斧が出土しています。

弥生時代 掘立柱建物8
右京第237次調査
高床式の倉庫と考えられる掘立柱建物1は1間×3間で、長辺4.2m程の規模を持っています。

 

■ 参考資料
「右京第237次調査」『長岡京市埋蔵文化財センター年報』昭和61年度(1988)
「弥生時代(谷山遺跡)」『長岡京市史』資料編1(1991)