今里大塚古墳(いまざとおおつかこふん)

古墳の場所 長岡京市天神5丁目(長岡第六小学校の北西、長岡中学校の北)
古墳の時代 古墳時代後期末
古墳の概要 乙訓地域で最後に築造された大首長の墓と考えられる大型古墳。現状の墳丘は直径約45mの円形であるが、周囲には盾形の周濠が巡らされており、墳丘が前方 後円形であった可能性を残す。古墳の埋葬施設は巨石を用いた横穴式石室で、石材の大きさや石室の構造から奈良県明日香村の石舞台古墳との関係が指摘されて いる。

 


今里大塚古墳の場所
今里大塚古墳の場所 長岡京市遺跡地図第5版から(長岡京市教育委員会提供)

今里大塚古墳の航空写真
古墳を東の上空から見た写真です。古墳周囲の街路や田畑の区画が盾形であることが分かります。

調査前の今里大塚古墳
古墳の上には、発掘調査の直前まで横穴式石室の玄室天井石が露出していました。

横穴式石室の羨道 右京第657次調査
羨道は後世の石材取得のために乱されていましたが、発掘調査の結果、長さ約7.5m、幅約1.9m、高さ約2.15mの規模と推定できました。

横穴式石室の羨道(玄室近く) 右京第657次調査
羨道の奥(玄室近く)では、巨大な石が側壁として用いられていました。また、羨道の床には礫が敷き詰められています。

玄室側から見た羨道 右京第657次調査
玄室側から見た羨道と墓道。羨道から墓道にかけて長さ14mにわたって排水溝を確認しました。

排水溝 右京第657次調査
排水溝は玄室まで延びているものと考えられ、石室内に溜まる雨水を外部に流し出すために設けられました。

横穴式石室の外観 右京第657次調査
玄室は、壁体の石材が不安定な状態であったため、発掘調査を行うことができませんでした。玄室の天井石には羨道ものよりもさらに大きな石が用いられています。

北東部の墳丘と周濠  右京第663次調査第1区
墳丘には段築や葺石、埴輪は施されていません。この部分では浅い周濠を確認しました。

北側の墳丘と周濠  右京第663次調査第3区
今回の調査でも周濠は円形に巡らず、西側に向かって盾形に広がることが確認できました。

旧表土と墳丘盛土  右京第663次調査第3区
焦茶色の帯(写真中央)が古墳築造前の旧表土です。この部分から上の土は、古墳の築造に伴って盛り上げられた土で、その高さは6.5m以上になります。

 

■参考資料
「古墳時代(今里大塚古墳)」『長岡京市史』資料編1(1991)
「右京第657・663次調査」『長岡京市埋蔵文化財センター年報』平成11年度(2001)